相手から言われる理想論にモヤモヤしてしまう理由とは

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人はよく理想論を言います。最近はネットの普及で匿名の投稿が増えたせいか、ますます無責任に理想論を言う人が増えました。
一方、理想論を言う人が増えた影響で、その被害に悩まされている人たちもたくさんいるのではないでしょうか。実際に理想論を言われるたびにモヤモヤした気持ちになってしまいますよね。気分も落ち込んでしまいます。
理想論を言ってくる人のせいで、いつもこんな気分にさせられるのはたまったものじゃありません。一刻も早くこのモヤモヤを解消したいものです。

ということで今回は理想論を言われることのモヤモヤの解消について説明してきたいと思います。今回もよろしくお願いします。

そもそも理想論を言われることについて考える

相手に理想論を言われる場合というのは、自分に不備があって相手に指摘してもらうというのが理想なのですが、実際は言われて納得するどころか「そうなのか?」とモヤモヤしてしまうことのほうが多いのではないでしょうか。
相手の言っていることは確かに合っているとは思うけど、聞いているとどうしてモヤモヤした気持ちになってしまうのでしょうか。

それは相手の言っていることは正しいけれども、実際に言われたくない人に言われているからです。どうせ言ってもらえるなら、自分が尊敬している人や信頼している人から指摘してほしい、と人は本能的に感じてしまうからです。
無責任な人や自分に関係ない人に中途半端に言われたくはありません。だからモヤモヤすることが多いのです。
もし今誰かに理想論を言われている人は、その言ってくる人が自分にとってどういう人かを考えてみてください。そして、もし自分が信用していない人なのであれば、言われてモヤモヤする必要はありません。どうせそういう人は言っているだけで、言った言葉の責任を取れるとは思えません。なるべく距離を置きましょう。

相手だってできているのかを考える

理想論を言われてモヤモヤしてしまう原因は他にもあります。それは先ほども少し触れた、自分が認めていないか、もしくは尊敬していない人に言われた、ということに関連してしています。
つまりどういうことかと言いますと、自分が認めていない人というのは、つまり、その理想論を相手本人自身が実践できていない人、と本能的に感じてしまっているからモヤモヤしてしまうのです。
誰だって、本人さえできてないことを言われたくはないのではないでしょうか。

本当に自分が対応するべきなのかを考える

理想論を言ってきたのが自分にとってどういう位置づけの人なのかをよく考えて、最終的に「この人には言われたくないな」という判断になったら、その人とは距離を置くようにしましょう。
決して、その人にこちらからも理想論を言って自分の手で相手を変えようとしないでください。
人を変えようとするには、最悪自分の人生を掛けなくてはいけないくらい労力のかかることです。自分にとってそこまでエネルギーをかける価値のある人なのでしょうか。ここは割り切っていきましょう。

相手が言いたいだけではないのかを考える

これは本当によくあるパターンです。本来、人というのは相手に言ってやりたいという、優越感を得たい本能的欲求があります。このため、「相手に言ってやった」という優越感を得るために理想論を言い続ける人も数多くいます。
こういう人のタイプについても、早くその人を見抜くことでトラブルを回避することができます。

その理想論の未来に何があるのかを考える

理想論の中身についても考えてみます。もし仮に理想論を自分が受け入れるとしたら、それは自分を変えなければいけないということを意味します。

しかし、自分を変えるほどのエネルギーを使うということは、未来に対して何らかのメリットがないとなかなかできません。なぜかと言うと、人生は無限ではないからです。人生は有限だから自分が何にエネルギーをかけたいかを無意識に考えます。自分を変えることもエネルギーがいるので、「なぜ自分が変わらなければいけないんだ」と理由を求めます。
人生が有限であるならば、そしてエネルギーをかける必要があるならば、未来に対して何らかのメリットがないと人間は行動しません。

果たしてその理想論に未来があるのでしょうか。

自分の成長のために割り切ってみる

これまで、「どうせなら言われたい人を選ぶ」という説明をしてきましたが、自分の中で、もしわずかでも「確かに自分なりに理想論を聞いておいたほうが、後々自分の信用力が上がるかも」と思った場合は、実際に理想論を取り入れてみるのも1つの手です。ただし、自分に役に立ったからと言って相手に感謝するようなことはしないでください。もし感謝すると相手が自信を持ってしまってますますうるさく理想論を言ってくる可能性があります。このため、特に感謝する必要はありません。あくまで自分の成長のために理想論を取り入れてください。

まとめ

理想論を言われてなるべくモヤモヤしないで、整理したり、割り切ったり、前向きに捉えたり、ということを説明してきましたが、ご自身のできる範囲で色々と考えてみてください。もっと今までに比べてモヤモヤした気持ちが晴れると思います。そして、「こんなくだらない理想論に付き合う必要ないんだ」ということがわかってきます。大変だと思いますが、お互い頑張りましょう。今回も最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。

 

他人に求める礼儀正しさよりも自分のための礼儀正しさを身に着けよう

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礼儀正しさ大事ですよね。確かに礼儀正しくあったほうがいいに決まっています。しかし、それは誰に対しての礼儀正しさでしょうか。周りの人にとってでしょうか。それとも自分に対してでしょうか。いずれにしても礼儀正しさとはどういう位置づけでなければいけないのでしょうか。今回はその点に迫ってみたいと思います。よろしくお願いします。


周りができていないからっていちいち責めない

周りの人で礼儀正しくない人を見かけるといちいち腹を立てる人がよくいますが、これはあまりよくありません。すぐに相手を変えようと批判する人が多いのですが、これは相手の反感を買うだけです。
なぜかと言いますと、普段お世話になっていない人に偉そうなことを言われたくないからです。
人は相手から偉そうに言われると、瞬時に
「あの人普段からどれくらい付き合いあったっけ?」
「あの人にどれくらい世話になっていたっけ?」
ということを考えます。そして自分にとって何も関係ない人であるということがわかると、相手に対して
「あの人何様なんだ!」
「偉そうに!」
という印象に変わります。
このため、たとえ自分のほうが正しくても一方的に相手を責めることはよくありません。

礼儀正しくない人に影響されない

逆に普段から面倒くさいと感じることが多かったり、真面目に取り組むことが苦手な人にとっては、礼儀正しくない人を見ると
「なんだ、礼儀正しくしなくていいんじゃないか」
「あの人だってちゃんとやってないじゃないか」
ということを市民権にして自分もどんどんだらしなくなっていきます。
そうすると礼儀正しさから縁遠い人間性になってしまい、人間としての程度が下がっていきます。人付き合いも程度の低い人としか波長が合わなくなっていきます。
このようなことから、たとえ周りに自堕落な人がいても影響されずに自分の美学に従って人生を歩んでいくようにすると良いでしょう。

自分のために磨くからこそ人間性が向上する

礼儀正しさというのはつい他人に求めてしまうものですが、最も大事なのは自分が礼儀正しくなることです。最終的には自分がレベルアップしなければいけないのであって、他人ではありません。
他人に求める前に自分がレベルアップするほうが結局は自分の人生を豊かにします。
実際に礼儀正しさを身に着けてくるとわかりますが、まずこれまではファーストフード店やフードコート、ファミレスなどにしか行けなかった自分が、礼儀正しさを身に着けてくるともっときちんとしたレストランに行ったり、銀座に出向いたり、ファッションに拘ったりと、礼儀正しさを意識することにより今まで関心のなかったものにどんどん範囲を広げていくことができるようになります。
このようなことを考えると、礼儀正しさは絶対に自分がこだわるほうに使ったほうが多分にメリットがあるものと思われます。

礼儀正しさから得られるもの

先ほどもちょっと触れましたが、趣味や行く場所が変わるほかにも、話し方をもう少しきちんとしよう、という気持ちが徐々に芽生えます。
そして、そもそも汚い言葉を使うことが自分をくだらなくしていく要因になっていることに気がつきます。
言葉遣いが正しくなるとさらに行ける場所が増えるので、文化面の活動が充実していきます。

そうするとさらに、今まで自分が好きだった趣味でさえ自分の意図とは関係なく自然に卒業しようとします。体が勝手に程度が低いものを切り捨てていくのです。習慣が変わっていくと周りのものがどんどん変化していきます。
礼儀正しさとは、このように好循環を生み出していくのです。

まずは話し方から気をつけよう

何回も強調しますが、まず身近にできる礼儀正しさとはまず話し方だと思っています。
言霊とは言いますが本当に感じることがよくあります。
運の良さにも関係してくると感じている人も多いほど、どのような言葉を発していくのか、と考えることは非常に重要なことなのです。

下らない言葉は逆にどんどん自分のレベルを下げていきます。

挨拶をできるようにしよう

本当に最初は挨拶できません。
わかっていてもなかなかできません。
だから実践していって慣れるしかないんです。
体で慣れるしかないんです。
本当に実践していくとできるようになります。
車を運転するときにも、路上で相手に合図を送ることがありますが、これも最初できなかったのですが、やっていくうちにできるようになりました。
大人になると、小学生のころみたいにすぐに試して体で覚えるということを忘れて、すぐにできないとやらないという悪循環にすぐに陥るんです。
そういうときは小学生みたいに頭で考えず、試すのが一番です。
頭で考えてできないことは体で覚えるのが一番だと感じています。

謝れるようになろう

これもなかなかできません。
とにかくプライドが高い人はなおさらできないんじゃないでしょうか。
どんな理由があっても自分が悪いと思われたくない、という人はすごく多いです。でも、そう思っている分、人間関係がうまくいきません。
謝るのも慣れなので実践したほうが早いです。そのうち謝れるようになります。やりたくないことは体で覚えるほうがいいです。躾と同じかもしれません。長く生きてくると生きてきた年数分プライドが高くなるものですが、生きてきた年数はあまり関係ありません。
いくら長く生きてきても、その都度考えないと結局中身が成長しないからです。

まとめ

今回は礼儀正しさをどこに向けたら良いのか、という点に重点を置きました。
自分の経験から自分に向けたほうが色々メリットが多かったので、今回このような内容にしてみました。
自分のやりたくないこと、面倒くさいと感じていることは、つい他人にやってほしいからつい批判してしまいがちですが、たまには視点を変えてみるのもいい経験になるのではないでしょうか。お互い頑張りましょう。今回も最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。