どうしたら気配りが上達するのか

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相手に対して気配りをしようとして見当違いのことをして、結局相手に自分の意思が伝わらなかった、なんてことありませんか。
自分なりに良いと感じて気配りをしてみたのに相手に伝わらなかった、なんて経験を少なくても1回はしたことがあるのではないでしょうか。
そして相手に気を遣うのを嫌になってしまうのだと思いますが、もう少し以下のことを実践して頑張ってみませんか。突破口は必ず存在します。今回もよろしくお願いします。

反応がないから悪いわけではない

気配りがうまくなるためにまず考えておかなくてはいけないことが、「相手の反応がなかったからもう気配りをしない」という考え方です。
まずこの考え方を捨ててください。
どうしてかと言いますと、確かに
「反応がなかったから相手の興味に引っかからなかった」
「だから意味のない行為だったんだ」
「だからやっても意味のないことなんだ」
誰だって意を決してやってみたのに、全然うまくいかなかったらこう思ってしまうのも当然だと思います。
だからもう気配りをしないという気持ちになってしまうのはわかるんですが、実は相手の反応がないのは別に気配りした側のせいではありません。どういうことかと言いますと、相手から反応がないからと言ってそれは自分のせいではないのです。
本来、相手から切り出された申し出というのは無視するものではありません。内容が聞こえなかったら、もう一度聞きなおせばいい話です。無視するものではありません。無視するのはむしろ甘ったれている証拠です。せめて相づちぐらいするべきです。
だから相手から反応がないからといって、落ち込む必要はないのです。相手がリアクションする能力が低いだけの話です。相手の能力不足です。そういう人は放っておいて次にいきましょう。

礼儀正しさを身に着ける

相手がたとえ無視してもそれは気にしないとわかったところで、気配り自体どうこだわっていけば良いかということを考えていきます。
まず気配りをするうえで気をつけなければいけないのは、その気配りが粗末ではいけないということです。ガサツであってはいけないということです。
「親しき中にも礼儀あり」という言葉があるとおり、相手に礼儀を尽くすというのは相手を大事にするというサインでもあります。
世間でお中元やお歳暮などを送るときもそうですが、相手から無礼なことをされたら嫌な気分になりますよね。だから礼儀は大事なんです。
参考記事:「他人に求める礼儀正しさよりも自分のための礼儀正しさを身に着けよう

社会的常識を身に着ける

必要なのは礼儀正しさだけではありません。
ある程度の常識の範囲に沿った気配りでなければいけません。行き過ぎた気配りは逆に相手が困ってしまいますし、やりすぎると今度は相手が何かをお返ししなければいけないのだろうか、と悩ませることになります。あくまで客観的な観点が重要となります。
こういうケースはだいたい常識の範囲ではここら辺という一般的な許容範囲があるので、その範囲を意識してみると良いでしょう。
「逆に自分がここまでされたらしつこいな」
「普通ここまでしないだろ」
「自分の得意なところでわかってほしいだけだろ」
という、もし自分がされたら嫌だと感じる印象を参考に気配りの程度を決めていくと良いでしょう。

相手の好き嫌いを把握する

これまでは気配りの中身に入る前の姿勢と常識について説明してきましたが、ここでは気配りをする相手1人1人について考えていきます。
通常、特定の誰かに気配りをしてみたいと考える場合が多いと思いますので、十分にお役に立てるのではないでしょうか。
ではどのような準備をすれば良いのでしょうか。まず特定の誰かに気配りをする場合には、相手の好き嫌いを把握します。
どういうことが好きでどういうことが嫌いか、ということを会話の中から聞き出します。
参考記事:「相手の話を聞いて信用されるようになるには
参考記事:「相手に共感したり気持ちを理解するために必要なこと

まず相手を知らないことには気配りはできません。例えば、
若い女の子だとこういうのが好きだろう」とか、
「社会人の男性だったらこういうのが好みだろう」とか、
世間の普遍性を狙って相手のストライクゾーンを模索しようとしますが、大体外すものと思われます。学生時代を思い出してください。同級生はみんな同じ趣味、同じ考え方でしたか。
1人1人違っていたはずです。それなのに社会に目を向けると大きい共通項で人をまとめたくなるんです。

先回りができるようにする

相手の好みがわかってくると先回りできるようになってきます。先回りは相手の信用を得るうえで高ポイントとなりますので頑張りましょう。相手の好みとその習慣やサイクルを把握してどんどん先回りできるようにしてみてください。そうすると、
「よくわかったね」
「こっちから言ってなかったのに」
「自分も忘れていたからうれしい」
というように、自分の気配りに対して嬉しい反応が返ってくるようになります。

気づいたところをどんどん言ってあげる

相手の好みがわかると先回りだけでなくて、状況に応じて代弁してあげると良いでしょう。
人と言うのは、立場的に本人が言えないことがたくさんあります。特に大人は立場がありますので、自分から言うと情けないと思われることがたくさんあるのです。このことを考慮しつつ、相手の好き嫌いを考えながら代弁してあげることを心掛けてください。
参考記事:「どういうときに自分から言ってあげると喜ばれるのか

相手の立場や歴史、現在の状況を把握する

先ほど立場の話をしましたが、気配りをするうえで現在の相手の立場を把握することも非常に重要です。特に相手が責任のある立場で弱音をはけない場合は、なおさら気配りが必要になります。
もしその人が頑張り屋さんで、周りの人が気配りに疎い人ばかりだと確実にその頑張り屋さんは潰れるでしょうし、そうでなくてもウツ状態になるでしょう。日本人は自分から色々なことが言えない分、気配りは非常に重要です。自分から言えないのなら、お互いに支え合うしかありません。理想論言っている暇はありません。

あえて言わない説得力を身に着ける

これは相手の好き嫌いの「嫌いな部分」に焦点を当てた気配りです。これまではどちらかと言うと好きなほうを中心に説明してきましたが、ここでは嫌いな部分です。
どうして相手の嫌いなことまで把握したほうがいいと力説してきたのかと言いますと、もちろん相手に失礼なことをしないという気配りのためでもあるんですが、もっと大事なのは相手が嫌だと思う発言や行動をしない、ということなのです。
あとよくあるのが、こういうときは相手が何か言うとそれだけで嫌になるとか、この話題には意見されたくない、ということが日常的にたくさん存在します。
こういうところに気を配れるようになると相手を怒らせることがほとんどなくなりますし、何かあったとしても日常的に言わなかった
ことをこちらから伝えることも可能です。これくらい言わない気配りは強力なのです。最近は事あるごとにすぐに色々と言いたくなる人がたくさんいますが、信用されるにはむしろ言わない説得力に磨きをかけるようにしてください。きっと後々言わないでいてくれたことで相手から感謝されるようになります。

まとめ

今回は何をすればいかに気配りできるようになるかを力説してきましたが、基本はやはり相手の好き嫌いを把握することでしょう。それ以外のところはそれをベースに応用しただけです。まずは相手の好き嫌いと立場を理解することを第一にしてください。
お互い頑張りましょう。今回も最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。

相手の肩書き批判は意味がない理由

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よく相手が自分の思い通りにならないと、相手に対して「〇〇なのにそんなんじゃ情けない」とか、「○○のくせに」、「それでは○○としてどうなのか」など、相手の肩書きについて批判します。
誰でも、世間の色々な肩書きについて理想を抱いているために、相手が自分の思い通りの肩書きではないとわかるとイライラして、批判したくなります。しかし、単純にそのような批判ばかり繰り返して何か意味があるのでしょうか。何かが変わるのでしょうか。
今回はそのような行為に意味がないことを説明してきます。
よろしくお願いいたします。

誰でも相手の肩書き批判をしたがる

とにかく誰でも相手の肩書きを批判したがります。周りや世間に過度な期待をしているから、自分の理想通りではないととにかく批判します。
しかし、よく考えてみてください。どうしてそんなに批判ばかりするのでしょうか。それは自分の人生に不満があるからです。自分にゆとりのある人はそんなに世間に願望を持ちませんし、他人に対してもそんなに多くを求めません。
そもそも、自分も相手の理想通りの肩書きになれないのになぜ相手の肩書きばかりに願望を抱くのでしょうか。自分も欠点を直せないのに相手にばかり求めるのは意味がありません。建設的ではありません。

理想の肩書き通りの人は存在しない

先ほども説明しましたが、自分の理想通りの肩書きの人というのは、世間を見渡してもほとんどいません。どのような人であっても、何らかしらの欠点を抱えて生きています。それが現実です。
世の中というのは、お互い中途半端な人間同士がどう助け合って物事を前に進めていくのか、ということが重要なのであって、相手が自分の理想通りの肩書きではないからと言って批判を繰り返すことではありません。そんなことしても、世間的に何も進まないでしょう。むしろ、モラルは低下し続けています。
モラルは低下し続けているのに、世の中は未だに理想ばかり言っているのです。

そもそもなぜ肩書き批判をしたがる

これは本当に自分の経験と身近な周りの人を見て思ったことなのですが、元々は親に対する願望から来ているのではないでしょうか。
本来は、成人した時点でもう親に対する願望は言わないほうが良いと思われますが、実際にはそうではありません。いい年になってもまだ親にこだわっている人が世の中たくさんいます。
そして、いい年をしてもまだ親に願望を抱いている人は、大体世の中や自分の周りの人に対しても「こういう肩書きはこうあるべきだ」という願望を連呼しています。もうキリがありません。
肩書きというのは一度取り払うほうが、その人の実力がよくわかります。肩書きを考えると人はすごく幻想を抱いてしまうのです。このため、本当に肩書きを考えないでその人を見てみると、今まで自分が幻想を抱いていたことがよくわかります。これが「肩書きマジック」なのです。本当に意味がありません。

全体的に肩書き批判をしていくとどうなる

今も世間的にはすでにそうなっていることが多いのですが、もし誰もがお互いに肩書き批判をしていくと、もはや他人に弱音を言える人がいなくなります。そして、自分でそういう世界にしたのに「世知辛い世の中だ」とボヤキ始めます。
人は相手に理想を言えば言うほど、自分も手を抜けなくなりますし、弱みを見せることもできなくなるのです。
世の中を敢えてギスギスさせることは何も意味のないことです。

肩書きよりも最低限のマナーのほうが大事

これまで指摘してきたように肩書きに理想を抱くのは本当に意味がありません。それを言うのであれば、1人1人が最低限の社会的マナーを身に着けてそれを守ることから始めればいいんです。
実際にそれすらもできていないので、最初から高望みしても何も得られないでしょう。現実として今まで世の中はそうだったはずです。
自分の期待通りの世の中ではなかったはずです。それは、基本をすっ飛ばして高望みばかりしてきたからです。基本を疎かにしてはいけません。

まとめ

肩書きは本当に面倒くさいものです。誰もが自分の肩書きは気にしないのに人の肩書きは非常に気にします。肩書きを利用して自分の思い通りにしようする輩も多いので、肩書き批判をしたがるのはわかりますが、キリがありません。それよりも、肩書きを利用して言ってくる人に「NO」という意思をぶつけられることのほうが大事です。難しいことですがお互い頑張りましょう。今回も最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。