どういうときに自分から言ってあげると喜ばれるのか

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CUsaiによるPixabayからの画像

自分からどんどん相手に言ってあげると、相手がどんどん救われた気持ちになっていきます。
本当は相手が自分で言わなくてはいけないのに、言いづらいことがたくさんあります。そういうときに、こちらからどんどん言ってあげると相手にすごく喜ばれます。
実際にどういうときに相手が言ってほしいと感じるのでしょうか。それは恐らく、以下の場合ではないでしょうか。今回もよろしくお願いします。

相手が救われたと感じるとき

言ってもらった相手が、その言葉でとても救われたと感じる瞬間のことです。どういうときにそう感じてくれることが多いかと言いますと、本当は自分でやるのが当たり前のことを逆にフォローされたとき、これくらいの働きだとあまり人に言えないのに励まされたとき、相手に気づかれないくらないわずかな気配りだったのにわかってくれたときなどです。本当は大したことないんだけど相手から言われたらすごく救われた気持ちになるんです。
また長年相手のためにこっそりやってきたことに気づいて言ってもらえたときも、救われた気持ちになります。「やってきてよかった」と素直に思える瞬間でもあります。
言ってもらえるってすごく心が救われるんです。

これからやっていくことを言ってもらえたとき

これからどうしていくのかという問題は、色々な付き合いにおいて考えていくべき大事な課題です。その割には実際どうしていくという話題が、なかなか出てこないことが多いのではないでしょうか。今後どうしていくというプランがないと、人が離れやすくなります。
実際に難しい問題だからということもあるのでしょうが、家族の中でわかっている人がどんどん先のことを言っていかないと、その家族は絶対前に進みません。
自分のほうが分かっているのに、家族に対して「どうしてこうしないんだ」と不満を抱いても問題は一向に解決しません。恐らく不満を言っている人のほうがわかっていることのほうが多いのではないでしょうか。
このため、家族の中で一番わかっている人が先のことをどんどん言っていって周りを安心させることが大事なのです。
どんどん言ってあげないとそれぐらい未来に影響するのです。

期待されている人が自分から言ってくれたとき

本当は自分から頼んだほうがいいのだけれども、いつも頼りすぎてもうこれ以上頼めない、という状況だったり、いつも忙しいからなかなか頼めないという状況のときにむしろ相手から
「今度こうしよう」
「将来こうしよう」
という提案があると、とても助かった気持ちになりますし、言った人自身はとても頼りになると思われます。
さらに自分が期待していた部分だけでなく、自分がやっていた部分まで気遣って色々言ってくれる場合、その言ってくれた人はさらに周りからの信頼性が高まります。
だからと言ってそういう人に頼りすぎるのはよくありません。実際にしてもらえたらきちんとその都度恩返しをしましょう。

フォローしてくれるとき

自分が忙しくてなかなか手がつけられない、やらなきゃいけないことや、最近ついすっかり忘れていた、やらなくてはいけないことについて相手から
「これそろそろやらなきゃいけないだろ」
「そろそろ○○をやらないといけない時期だったよな」
とどんどん相手に言ってもらえると非常に助かります。
さらにその言ってくれた人がすべて本人の代わりにやってしまうとかなり相手から好かれます。
なお相手に対して「こうしないといけなかったじゃない?」と考えてあげるのはかなり長期的なスパンでも考えることがあって、もしそれをきちんと覚えていて、その人の誕生日などにサプライズでその部分のフォローを付け加えると、相手に非常に喜ばれます。確実に
「覚えていてくれたんだ」
と相手が感動してくれます。意中の女の子にしてあげるといいんじゃないでしょうか。

代弁してくれるとき

何か人間関係でトラブルが発生したとき、実際に批判されている人を救いたいときに自分が進んで代弁してあげるというケースがあります。
こういう場合もどんどん言ってあげると喜ばれます。特に批判されている人間性がわかっていて、元々フォローしたくなるような人だったら、なおさら言ってあげると良いでしょう。
特にこういう場合は本人が言うと「いいわけ」と解釈されてしまうことが多いので、なおさら嬉しいはずです。
このケースも言ってあげることで相手が救われるケースとなるでしょう。

まとめ

どんどん言ってあげるというのは上からの例でもわかるように、いかに言われた相手が救われたのか、という点につきます。
それほど人というのは言葉で支えられているのです。
これからもお互い頑張りましょう。今回も最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。